白昼の催涙

 噛みつくようにもう一度キスをしてから、俺は大塚先輩の襟首を掴んで壁へ押し付けた。
「痛……っ」
「ぶら下がってるだと……? アンタがか?」
 乗り上げた身体の上で、胸が苦しげにひくりと波立つのがわかったけれど、もう、どうでもよかった。背骨へ食い込むみたいなきつい衝動、怒りに近い、熱いものが身体中を焼いていた。
(知ったことじゃねえ)
 いまは涼しい顔をして、全部わかった顔をしている目の前の男を打ち倒したかった。
「適当なこと言うんじゃねえよ、アンタみてーなヤツが浚われるわけねーだろ……さらわれるような連中のことなんざ、これぽっちだってわかンねえだろう!」
 血を吐くように叫んだ。
「いくつもいっぺんにペルソナ出せるようなヤツに、俺らのなにがわかるっつうンだよ! 昔っから顔知ってるヤツが吊されたことだってねえくせに……アンタそれ、花村先輩の前で言えんのか!? バカにするのも大概にしやがれ……ふざけんな!」
 言い出したら止まらなくなった。
「よそ者のアンタはここをあと半年で出てく! 事件が片付こうが、稲羽の連中が何人吊されて死のうが、アンタにゃ関係ねえ。そうだろ!? そんなことくらい、頭の悪ぃ俺にだって最初からわかってら。けどな、だからって……笑いながらそういうこと言うんじゃねえよ!」
 あと半年経てばこの男は去っていく。ここじゃない、都会とやらへ帰って行く。こんな田舎とは違う、ものもひとも山ほど溢れた場所へ行って、全てを忘れてしまえる。そして年に一度くらいやって来ては「元気にしてるか」などと、変わらない涼しい顔をしてきれいに笑うかもしれない。
(こっちの気もしらねえで)
 否、頭のいい彼はわかっているはずだ。マヨナカテレビ、特捜本部、シャドウ。彼にとってはつまらない田舎の日常に降って湧いたママゴト、正義の味方ごっこ。退屈しのぎの遊びだ。本当は誰が死のうと構わないし、稲羽の結末がどうなっても関係ない。うつつか幻か、真相がどうあれ協力する義理もないのだ。ここは一年限りの宿り木、単なる道ばたでしかない。でなければ、こんな簡単に言えるわけがない。
 言えない。
 ぶら下がってるなんて、想像したくもない。
(俺ぁ、言えねえよ)
 まして、好きだなんて。
 言えるわけがない。
(言ってどうすんだ。いなくなるのに?)
 言葉になんてできない。一度形にしてしまったら、きっと執着が強くなりすぎていまよりも囚われてしまう。それが怖い。
(いなくなっちまうくせに)
 襟を掴む腕に力をこめ、俺は歯ぎしりした。だが、先輩は怒りもしなければ目を逸らしもしない。ただじっと俺を見ている。
 強すぎて、なにも通用しない。
 この男はテレビの中でさえ、傷つかない。ひとはマヨナカテレビの世界でシャドウに食われれば為す術もなく死ぬけれど、先輩は初めからシャドウを倒す手段をいくつも持っている。怪我を治す手段も。現実世界に戻ってくるための仲間だっている。いくら死ぬ思いをしたって、テレビの中の世界を離れれば簡単に消えてしまう。
 全部そうだ。簡単になにもかも忘れてしまう準備が整っている。
「ち……っくしょ」
 せめてこの手で痕を残してやれたらいいのに。目を逸らせないほど強く、忘れられないほどきつく。
 そうしたらきっと、見る度に思い出すだろう。思い出して、笑うかもしれない。暇つぶしにバカなことをしたと思って。
 それでも、いい。
 なかったことになるよりはずっといい。
「…………っ」
 鼻先がつんとしたのを悟られないためにもう一度、くちづけた。
 舌が擦れてくらっとした。頭が眩んでいる。乱暴に大塚の口腔へ舌を突っ込み、嬲りながら、同時にめまいがしてくる。たかがくちびるを合わせているだけで、体の底から得体の知れない震えが立ち上ってきて痺れた。
「……っは、う」
 気怠げに首を振るってくちびるから逃れようとする顎を無理やり掴み、さらに深く奪って、舌を絡め取った。ぬるくぬめった肉で、唾液を交わし合う。くちゅくちゅと生々しい音を立てて耳朶を叩くと、それだけで下腹がどっと熱くなった。
(もっとよこせよ)
 肉が剥き出しの感触をさんざん味わっていると、舌先が歯列に触れた。固くつるりとした粒をなぞって行き来させてみると、やがて敷き込んだ身体が細かく震え始めた。こんなことで震えるのか、と内心驚く一方で、いつも顔色の変わらないこの男が自分の手の中で震えているかと思うと、暗い嗤いがこみ上げた。
(もっと、アンタの中身を全部見せろ)
 暴いてやりたい。これじゃまだ全然足りない。
 こんなふうになる自分を知らない。触れる端から飢えてゆくような突き上げる衝動を、他に知らない。この男でしか、知らない。
 これは、欲だ。
 こんなにハッキリとわかってしまったら、もう目を背けようがない。忘れるなんて無理だ。
「ん……っン!」
 やがて敷き込んだ胸が、不自然に跳ねた。形のいい指が震えながら懸命にシャツを掴んで、空いたもう片方が俺の背を叩いている。仕方なくくちびるをほどくと、大塚はひゅっと息を吸い込んで軽くむせた。
「……っ、く、……は」
 背中を丸め、眉根を寄せて苦しそうにする大塚先輩を俺はただ見下ろした。
「は……っ、は」
 自分も、息が上がっていた。
 心臓が痛い。血の巡りが早すぎて、脳まで辿り着いていない。衝動という名前でひとくくりになったまま、暴力も性欲も区別が曖昧になる。手加減する必要がないせいだ。この頑丈な身体は、自分が欲望のままに振る舞っても壊れない──女じゃない。
 飲み下しきれなかった唾液を拳で拭ってから、間髪入れずに先輩の肩を掴んでもう一度壁へと押し付けて、抱きしめた。
(堅ぇ)
 当たり前だ。女じゃない。
 ブレザーの合間から手を入れてシャツを引きずり出し、指を滑らせると、手のひらの下でなめらかな皮膚がざわりと波立つ。でも、払い退けることはしない。重なった身体からは、荒く胸が上下する様がありありと伝わってくるだけだ。
(アンタ、ホントに頭いいよな)
 水を向けるだけで、最後に本気で食らいつくのはいつだって自分の方だ。
(ああ、そう。アンタの言う通りだ。こんなときにいちいち考えたりしちゃいねえよ)
 余計なことは考えたくない。止まりたくない。もっと触りたい。伸びやかな筋肉と、固い骨は間違いなく男のそれとわかっていてもなお、抱き合ったところで決して結び合うことはないと知っていても、この男が震えるほど自分の胸も甘く震える。息を乱すほど、頭の中がどろどろする。理由はどうでもいい。ただ、気持ちがいいからそうしたい。
(冷静に、こんなこと、できねえんだよ。アンタみてえに)
 くちびるで首筋を辿り、鎖骨へ押し付けた。すると
「……あ!」
 いきなり大塚の口から声が、漏れた。
 驚いて顔を上げると、大塚も驚いた顔をして口許を覆っていた。
(いまの)
 ハッキリそれとわかる、なまめいた声だった。
 たまらなくなって同じ場所をもう一度吸い上げ、軽く歯を立てた。
「……あ、ぅ」
 むずがるように大塚は身じろぎ、切れ切れに声を上げる。窪みに舌を当てて抉るようにすると、ますます声が溢れて止まらなくなった。
「あ、……ぁあ、あ……それ、も、やめろ」
 ちらりと視線だけ向けると、すっかり目縁が赤かった。
「し、つこい……」
 後ろから髪をぐっと掴まれ、浮いた顎を浚うようにくちびるが押し付けられる。
「う、……っ」
 舌先が上顎の裏側に滑り混んできて、くすぐったいのかじれったいのか分かりにくい感触がした。思わず目を瞑るとひどくくらんで、平衡感覚を手放しそうになる。
(くそ……っ)
 慣れた手管に少しだけいらっとして、空いた手で先輩のシャツをまさぐった。指で合わせをかきわけて、再び素肌に触れる。
「ぁっ……つ」
 急にくちびるが離れた。目を開くと、先輩は顎を引いてぎゅっと目を瞑っていた。もう一度擦るように手のひらを押し付け、胸の尖りを押しつぶした瞬間、
「……っン」
 眉根を寄せて呻いたのがわかったから、今度はわざと指でつまみ上げた。
「っ! ……っあ、ぅ」
 何度かねじると、どんどんと息が荒くなる。声が上がると、少しだけ溜飲が下がる気がして、今度は両方を代わる代わる押しつぶして爪を食い込ませる。
「ん……ぅっ」
 びくびくと先輩の身体が跳ねた。ときおりシャツの上から乳暈を撫でまわすと、やがて額から汗が幾筋も流れてくる。
 俺は、どんどん膨らんで腫れぼったい感触になる粒を弄ることにひたすらのめり込んだ。額を濡らした汗が顎を伝い、首筋へ流れ、ほとりと鎖骨へ落ちてゆく。その一部始終を俺はじっと見つめた。ときおり乳首の根元を擦ると、ふるりと透明な汗の玉が揺れて、ごくりとなにか呑み込む仕草で喉仏が上下する。男にしかない喉の果実へ誘われるように鼻っ面を近付け、前歯で軽く囓った。
「…………ッ」
 のけぞった顎から水気を吸い上げると、薄い塩の味がした。肌の匂いがふわりと濃くなる。ちっとも甘くはなく、落ち着きもしない。つんとする雄の匂いだ。余計に脳の奥が痺れ、沸騰して破裂しそうな気さえする。
 これが、俺の腹の底に巣くっていたもの。嫌悪して死にかけた原因そのものだ。
 なのに。
 目の前の男は、目がくらむほどきれいだった。