「な……」
なんだおまえら、と口にするより早く、大柄な男がアキラに組み付いてきた。
「く……っ! 何する、離せ!!」
襟首を掴んで引かれ、背中から羽交い締めにされた。ものすごい力だった。おまけに上背もある。もがいても全く身動きが取れない。
人数は──三人。男たちは奇声じみた笑い声を上げて、サイドテーブルを蹴倒し、ほとんど空のクローゼットをこじ開けて中身をぶちまけた。
カーテンを引きちぎろうと手を伸ばした男が、窓際にいるシキに気づいて息を飲み、次の瞬間に薄笑いを浮かべた。
「シキ!!」
シキが、男に突き飛ばされていとも簡単にふっとんだ。椅子ごと壁に叩きつけられ、しかし動かない。引きずり上げるようにして首を掴まれ、揺さぶられる。それでも、こそりとも動かない。男はおもしろくなさそうに、シキを放るように窓へ頭から叩きつけた。窓が割れて、肩から半身が外へ飛び出す格好になる。
だが、やはりシキは動かなかった。
「……っのやろ!!」
反射的に体が動いた。
アキラは男の足の甲めがけ、力いっぱい踵を落とした。
「ギャアッ!!」
耳障りな悲鳴が上がった。アキラは間髪入れずに、上体を折って身を沈めながら歯を食いしばり、男の顎を下から伸び上がって頭突きを食らわせた。
ガチリと歯が噛み合う音と、驚きと空気をはむような悲鳴がつんざく。
拘束する腕が緩んだところを見逃さずに、腰を沈めて両肘を突き上げた。男の腕があっさりと外れたところを、腹部目がけて肘打ちし、すかさずひねり上げる。
どこのどいつだ──問いただそうとして改めて正面から男を見据え、そして気づいた。
その男の目は澱んで、白く濁っていた。
(ライン──)
愕然とした。トシマでは見慣れた顔つきだったが、ここは日興連軍部の敷地内だ。
なぜ、どうして、一体なんのために──。
「ガ、ァアア……!」
拘束に抗う剥き出しの敵愾心と痛みに、開きっぱなしの男の口から呻き声と唾液が溢れ出る。
氷を落とすように、背筋へ悪寒が駆け抜けた。唐突に突き上げてきた生理的な嫌悪に、アキラは男の手を放るように突き放し、鳩尾目がけて鋭角に蹴り入れた。余裕のない、反射的な一撃がかえって功を奏した。男は身構える暇もなくまともな打撃を食らって、声にならない悲鳴をくぐもらせ、背中を丸めてうずくまった。
とたんに、周りを取り巻いていた男たちが殺気立ち、輪を詰めてくる。
とっさにアキラは床へ落ちていたシキの刀を掴み、柄で壁に設置された非常用ボタンの透明ケースを思いきり突いた。
「いい加減にしろよ、おまえら!」
ケースが割り砕かれて、警報が甲高く鳴り響いた。
だが男たちは一向に動じる様子もなく、アキラの怒号を合図に襲いかかってきた。
久々に肌で感じる苛烈な殺気と、激しい動悸に歯がみしながら、アキラは刀を鞘に収めたまま振り回した。
口元には笑みすら浮かべて、男たちは闇雲につっこんでくる。掴みかかろうとする手のひらを刀で打ち据えてから、すんでのところで身を翻す。一拍おいて男は壁へ激突し、派手な音が上がった。だが、ひるむ様子はない。
いずれ警備の人間が駆けつけるだろう。しかし相手は三人、おまけに他人の命も自分の命も心配する様子はまったくないときている。おまけに、音が立つことへの気遣いすら全く感じられない。なんとか凌ぐしかないが、明らかにこちらが不利だった。
(こいつら一体、なんのために……)
確かに、事実上崩壊したとはいえ、シキはヴィスキオの王だった男だ。狙われる理由も憎まれる理由も、数には事欠かないのだろうと察しはつく。それに、シキを王だと知らぬものは大勢いても、トシマでシキの名を知らぬものなどいない。シキという名の男は多くの人間を斬り捨て、命を奪い、死体の山で築いた血まみれの玉座からトシマを見下ろし、人々を冷徹な恐怖で支配していたからだ。
誰が襲ってきても不思議はないのかもしれない──だが自分は何もシキのことを知らない。わからない。それに、内戦のただ中とはいえ、ここは軍中枢の直轄区域だ。
「おい、シキ……っ!」
応戦しながら必死で振り向くと、うつろな瞳のシキと目が合った。
ガラスで裂かれた白い肌に赤い血が伝って、やけになまめかしい。
いきなり、目の前が真っ赤になった気がした。
許せない。そう思った。
(許せない? 何が許せないんだ)
夜襲──この降ってわいた、シキへと加えられる理不尽な暴力が?
(違う……! 俺は、シキが許せない)
圧倒的な力とカリスマで他を寄せ付けず、君臨し支配する王者──それがシキのはずだ。
ラインの中毒患者ごときに遅れをとって、暴力を身に受けて、抵抗しようともしない。
それが許せない。
「! シキ!!」
さっき蹴り飛ばした男が急に起きあがって、シキの足首を取ると、乱暴に引きずった。
片腕で、いとも簡単にシキの体を逆さにつり上げて哄笑を浴びせる。体格差だけをみたら、すぐさまへし折られてもおかしくない。
だが、そんな状況になっても、シキはもがくどころか眉ひとつ動かさない。
「やめろ!! ──あ……ぐ、ぁあっ!!」
シキに気を取られていたせいで、懐へ飛び込まれた。アキラは下方から首を掴まれて、壁へ勢いよく叩きつけられる。衝撃に息が詰まって、悲鳴も出ない。手が痺れて、日本刀を取り落としてしまった。
気が遠くなりそうになるのを、唇が切れそうなほど強く食いしばった。必死に男の腕を掻きむしったが、振りほどけない。渾身の力で爪を立てても微動だにしなかった。ラインを服用したものにもたらされる、常軌を逸した腕力が、アキラの気管を握り潰すように圧力を持って押しつけられていた。
だが、切れ切れに絞り出した、やめろ、という抗議は、決して自分の命乞いではなかった。
下卑た嗤いを伴奏に、シキが手にかけられようとしている。逆さのまま両足を掴まれ、力任せに裂かれようとしている。
「シ、キ……!」
もうこれ以上はもたない──そう思い、目を閉じようとしたときだった。
シキの腕が、するりと動いた。
:::
どういうことだ、といきなり肩を掴んで揺さぶられた。こっちが聞きたい、と吐き捨てて、アキラは無遠慮な手を払いのけてやった。
「そっちこそ、どういう安全管理をしてるんだ!」
「なぜ、おまえたちが狙われる?」
「だから何度も言ってるだろう。俺たちが聞きたいさ、そんなこと。恐れ多くも日興連様の軍本部で、こんな目に遭うなんて思いもしなかった」
厭味は通じたらしく、取り調べの役目を負った男は鋭く舌打ちした。
「……とにかく、あのシキという男は、こちらで身柄を拘束させてもらう」
「冗談じゃない。こっちは夜中にたたき起こされたあげくに、乱闘騒ぎまでさせられてクタクタなんだ」
本当は元々起きていたのだが、わざわざ細かく説明してやる義理もない。それに、疲れてうんざりしているのは本当のことだ。
「あんたたちの手落ちのツケを、俺たちが払ってやったんだぞ。感謝してほしいくらいだ。大体、血まみれで顔しか拭いてない。気分が悪い……吐きそうだ。休ませてくれ」
「君はともかく、あいつは殺しの現行犯だ」
「やらなきゃ、俺たちが殺られてた!!」
思わず口から飛び出した声は、叫び声に近かった。
「あんたたちにわかるのか!? ラインの中毒症状を起こした連中が、見境なしに襲いかかってくるってのがどういうことか!! やつらは常態の何倍にも増幅された力を振り回して、人殺しを悦ぶような連中なんだぞ!? 人間の理性なんて、これっぽっちも持ち合わせてない!」
警備兵が駆けつけたとき、すでに部屋は血の海だった。
あのとき──常軌を逸した男の手のひらに、いっそう力がこもった瞬間、それまで人形のように動かず、弄ばれていたシキが突然動いたのだ。
手は男のベルトに刺さったナイフへと伸び、力のこもらない仕草で引き抜いた。
刃先が大きくせり出した、大振りのシースナイフだった。
それを見て、男はせせら嗤った。刺してみろと言わんばかりに、胸をそらせて──しかし次の瞬間、血泡を吐いて絶叫した。
ナイフは、男の腹部へ深々と突き立てられていた。
まるでバターを切るように、エッジは滑らかな動きで男の腹の上を滑った。端まで来ると、今度は手のひらを返して根本からグルリと刃をねじり入れる。グリップを握るシキの手のひらごと、男の腹に埋まった。
男は投げ出すようにシキから手を離したが、もう遅かった。
シキは左腕をついてふわりと着地すると、腹から引き抜いた右腕で男の喉元をいとも簡単に切り裂いた。
またひとつ絶叫──さらにぐっと横へ引くと動脈に突き当たって、まるで水道の蛇口を最大にしてひねったように鮮血が吹き上がる。
だが、哀れな男は即死することができなかった。ラインで肉体が強化されていることが徒となった。男は身をよじって悶絶し、血液は部屋の天井までぶちまけられ、得も言われぬ匂いが一気に立ちこめた。
シキは顔色を変えずにナイフを放ると、床に転がった日本刀を拾い上げた。鞘から刀身をすらりと引き抜き──返す刀でアキラの首を締め上げていた腕を切り飛ばした。腕は、くの字に曲がったまま部屋の隅まで転がった。
シキによって染め上げられる惨劇の赤──目の前の光景に息をすることも忘れて、アキラは他人の血を被ってずぶ濡れのまま、その一部始終を見ていた。
止めることなど、思いつきもしなかった。
「……トシマで大変な思いをしたんだな、君は」
突然思ってもみないことを言われて、アキラは面食らった。なんの話をしていたのか急に思い出せなくなる。言葉がうまく出てこなかった。
「俺の……話をしたんじゃない」
かろうじてそう言うと、わかっているから、とでも言いたげに取調官は苦渋の表情で頷いてみせた。
いっそう胸が悪くなる。
「軽くだが調べはついている。君ははめられてトシマへ送られたんだろう? いきなり旧祖地区へ放り込まれて、よく生き残ったものだ。──だが、その男は」
どきりとした。日興連は何か証拠を掴んだのだろうか。
シキが犯罪組織・ヴィスキオの王だと。
まさか。
「その男は違うだろう。しかもそいつに関しては、探っても探っても、何も出てこない。何も、だ」
思わずほっと息をつきそうになって、アキラは慌てて飲み込んだ。
「そんなの……調べきれていないだけじゃないのか。まだここへ来てから大した時間は経ってない。それに、今は内乱で混乱しているし」
弱々しい言い方になる。
案の定、取調官は首を横に振った。
「CFCの記録には、もちろんきちんと当たった。国民にとっては不幸なことだが、CFCは恐ろしいほど個人情報管理が徹底している。君も知っているだろう? 名前ひとつ、番号ひとつで個人のありとあらゆることがわかる。だが、情報の管理体制そのものに少々問題があってね、おかげで大抵の調べに大した時間はかからないよ。だからこそ、君の冤罪も明らかになった。だが、彼に関しては、徹底的に荒い尽くしても塵ひとつ出ない。意味はわかるだろう」
厳しい管理主義による統治体制──なのに、足跡ひとつ見つからない。ならば、それは塵も残さず抹消したと考える方が遥かに自然だ。それくらいはわかる。
「君が庇う必要はないんだ」
「そんなんじゃない……」
非道な男だと知っている。しかし、それを話して聞かせてどうするというのだろう。
「そんなんじゃないんだ。もう、頼むから……俺たちを休ませてくれ」