いつもいつも、捜して歩いているような気がする。
飛び出して行くケイスケと、それを追いかける自分。
ケイスケは一体どこにいるのだろう。どうして自分の手の中に捕まえておけないのだろう──。
頭の片隅でぼんやりとそんなことを思いながら、誰よりも早くケイスケを見つけ出そうと躍起になって走る。
そして、膝を抱え震えているケイスケを見るたびに、アキラは言葉を失って立ちつくしてしまう。
彼の世界に、自分がいないことを知るからだ。
なにもかもを閉め出して、ケイスケはたったひとり、小さくうずくまっている。
少しの間隙もなく埋められた彼だけの世界に、自分の入る余地がないのだと思い知って、胃の底がざらりと熱くなる。
(「ケイスケ」)
暗い場所から無理にでも引きはがしたい衝動を堪えて、名前を呼ぶ。自分の声が耳から落としこまれ、脳に染みていき、胸に届くまで──伏せた顔を上げて自分のほうを見るまで、何度も。ケイスケが自分を見つけ出すまで、息を詰めて、待っている。
不安げにひそめられた眉と、なにか言いたげな唇を真っ先に思い出すのは、きっとそのせいだ。
(「帰ろう」)
そう言って、手を差し伸べてやる。本当はいつも、絶対に自分からは触れたくない。いくら距離が縮まっても、たとえあと一歩の距離にいても、最後のすき間を埋めるのは自分ではなくケイスケであってほしい。
ケイスケが自分から手を取るのでなければ嫌だ。待ちこがれた目をして、自分から縋りついて来なければダメだ。
そうでなければ、彼の世界に自分がいてもいいのだと信じることができない。
怖くて、信じ切れない。
必要とされていないかもしれない。笑う顔は嘘かもしれない。心の奥底では憎まれているのかもしれない──そんな想像は恐ろしすぎたから。
だから、手を引かれ、つなぎ止められて、指と指を絡めながら繋いでくるのが……本当に好きだった。
:::
いつしか、わめき声がしゃくり上げる声に変わっていた。
息もつけないほど強く抱きしめたまま、アキラはケイスケの髪の毛に顔を埋めた。強い髪のすき間から深く息を吸い込むと、ケイスケのにおいがした。肌から浮き立つ薄い汗のにおいは、どこか懐かしい感じがする。たかが一日離れていただけで懐かしいなんて、よく考えてみればなんだかおかしい。
「アキラ……?」
叫びに嗄れて掠れた声が、胸のすき間からくぐもって聞こえた。
ほんの少し、腕を緩めてのぞき込むと、意外にしっかりした瞳でこちらを見返すケイスケがいた。心細さに揺らいではいるが、深い色の瞳はまっすぐに自分を見ている。
もう一度、力任せに抱きしめた。
かたんと背中の向こうで堅い音がした。源泉が出て行ったのだろう、と頭の隅でぼんやり思う。
しばらくそうしたままでいると、ケイスケが腕の中でわずかに身じろいだ。
「アキラ、……ちょっと、ごめん」
「なんだよ」
そうやってすぐに謝るケイスケのクセが嫌いだから、ついきつい言い方になった。ケイスケはいつも他人のことばかり心配するのに、自分はいつも自分のことばかり考えていて、いっそう嫌になる。
これ以上いらいらした声を上げたくなくて、腕もほどかずにそのままでいると、その、ともう一度遠慮がちに呟く声がした。
「ちょっと、……腹が」
その言葉に初めてはっとして、アキラはケイスケから体を離した。
「痛むのか」
見ると、ケイスケは体をねじるような体勢でしゃがみこんでいた。さっき、腹を刺されたのだと聞いた。こんな体勢でいたら痛いはずだ。
慌てて手のひらで脇腹に触れると、服の上からでも熱を持っているのがはっきりとわかった。
「悪い。……痛み止め、取ってくる。待ってろ」
それくらい源泉が持っているだろうと、アキラは腰を浮かしかけた。だが、ケイスケから急いた声が上がった。
「違……っ、いいよ、アキラ」
「よくない」
「いいから、……側にいて」
「すぐ戻ってくるから──」
制止を振り切って立ち上がると、ものすごい強さでシャツを掴まれた。
「いやだ、俺、今ひとりでいると……頭が、おかしくなる……!」
面伏せたケイスケから、お願いだから行かないで、と嗄れた掠れ声がこぼれた。
「ケイスケ」
「本当に……俺、ダメなんだ。ひとりでいたくない……」
手がかたかたと震えていた。肌が色味を失って、真っ白いのが痛々しかった。
「……わかった。でも痛いならちゃんと痛いって言えよ。そしたら、薬くらい一緒に取りに行けばいい。すぐそこなんだから、立ち上がって少し歩くくらいはできるだろ」
「ん……」
顔をのぞき込むと、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「一人でいる必要なんてない」
なだめるように冷たくなった手のひらを包んでやると、ケイスケが微かにこくりと頷いた。
「夢、見てたのか。さっき」
ケイスケがまた、無言で頷いた。
「どんな」
自分の声が震えないように、アキラはゆっくりと力をこめて訊ねた。
今までも、ケイスケが夜中に飛び起きることは何度もあった。けれど、それがどんな内容なのかきちんと聞いたことは一度もない。ケイスケが苦しんでいることをわかっていて、蒸し返すことができなかったからだ。ラインのせいでいつまでも苦しむケイスケに、自分自身の後悔を重ねてしまって──怖かった。
トシマでのケイスケが夢を具現化した姿だとしたら、本当のことなど少しも聞きたくない。
けれどそれ以上に、見てみぬふりをするのはもう嫌だった。
「ケイスケ」
黙りこくっているケイスケに向かって、できるだけやんわりと名前を呼んでやる。
「部屋に、閉じこめられていて、……」
うながされて紡ぐ声は懸命になにかを堪えようとして、明らかに震えていた。
「ゆっくりでいい」
手のひらをもう一度、強く握りこんでやる。
「誰もいなくて、いくら呼んでも、誰も。真っ黒な……手だけ」
「手?」
「たぶん俺が、殺した、……ひとの」
息がどんどん荒くなって、なにか飲み下すように喉元が上下した。
「みんな、俺が、許せないから……っ、だから……」
微かに嗚咽めいた声で言ってから、頼りなく口元がわななく。そしてそれきり、ケイスケは黙り込んだ。
シャツを掴んでくる手にいっそう力がこもって、甲に節がくっきりと浮き上がっている。
うなだれたケイスケの後頭部を見つめ、しかしアキラはきっぱりと言い捨てた。
「そんなの、気のせいだ」
勢いよくケイスケが顔を上げ、泣き出しそうに歪んだ。
「そんな……違う、だって」
すがりつくようなケイスケの瞳をまっすぐに見つめて、アキラはもう一度、強く言った。
「気のせいだ。そんなの。死んだヤツはもうとっくにいない。わざわざ追いかけてきたりしない。だから、そんなふうに思う必要がない」
「違……ッ、だって……誰だって死にたくないんだ。なのに、だから……俺は」
「そんな思いこみをしても仕方ない」
ぴしゃりと言い放つと、ケイスケが喉を詰まらせた。
「そんな……ひどい、ムリだ」
「なにがだよ」
「だって、苦しいくらい当たり前だ……俺は人殺しなんだよ、アキラ……ッ! そんなの、許されるわけないじゃないか……!」
半分笑いながら、半分は泣くような声音で、ケイスケが声を荒げる。だが、アキラは意に介せず続けた。
「違う。おまえは人殺しだから、そんな罪の意識だけじゃ許されないって言ってる」
はっきりと言い渡すと、ケイスケが目を見開いた。
「どうせ、そんなことじゃ償いきれない。それなら、そんなことはしなくていい。無駄だ」
「ひど……ひどいよ、そんな……っ」
震える声を絞り出してから、ケイスケは怖いものから身を引くようにしてアキラから離れる。
カッとなってアキラは、乱暴にケイスケの襟首を掴んで引き寄せ、胸にかき抱いた。
「──あ」
「ひどくない」
膨れあがるばかりの憤りを押さえるのが精一杯で、アキラは声を跳ね上げないようにと低く押し殺した。
「ひどいのはおまえだ。……そんな、いもしない亡霊なんかに簡単に連れて行かれるな」
ケイスケの首へ取りつき、体温を確かめるように頬を寄せ、アキラは何度も何度も腕の中にある体を抱きしめ直した。今は間違いなくここにいるケイスケを感じて、安堵よりも先になにか重いものが胸へとせり上がってくる。
「え……ア、アキラ、その、ちょっと苦し……」
「うるさい、いい加減にしろ」
「アキラ……」
ひるむようにケイスケが息を詰めたのがわかったけれど、優しい言葉が選べない。そんな余裕がなかった。
「俺は……いつも、おまえが目の前から消えてからでないとわからない。……もう嫌だ、こんなのは」
まるで、目の前でおもちゃを取り上げられた子供のようだと思う。いなくなってから慌てるなんて。しかも、そうやって同じ失敗を何度も繰り返す自分が本当に嫌で、情けなくて、そのたびに吐き気がする。
今もそうだ。体の真ん中からなにかきつい感触をしたものがこみ上げてきて、だからひどく苦しい。
「ど、どうしたんだ、アキラ。なんで……」
ケイスケが狼狽した声を上げた。
「俺がバカをやったのに、どうしておまえがいなくなるんだ……」
「え……?」
なんのことか全然わからない、と言いたげな疑問符が、いっそうアキラをあおり立てた。恨みがましいことなんて一つも言いたくないのに、言葉があふれて止まらなくなる。
「いつもそうだ……あのときだってそうだった。トシマで、俺の八つ当たりみたいな一言で、おまえが飛び出して戻らなくて、……死んだんじゃないかって」
そして次に会ったときはもう、自分の知っているケイスケではなかった。
たった一言で、それまでのケイスケを全部殺してしまったのだと、わかった。
自分だけに責めがあるとは思わない。けれども、自分に非がないはずはない。なのに、何事か口にするより早くケイスケがゴメンというから、いなくなるから、結局なにも言えなくなってしまう。
言い損ねた言葉は胸にしんしんと降り積もるばかりで、不安はうずたかく積まれてゆくばかりで、四方を閉ざされて出口を見失う。
このままでは、いつか窒息して死んでしまう。胸からはい上がってくる後悔に喉を塞がれて、息が詰まって。
「責めるなら責めろよ。目の前で、俺をなじってみろ。そのほうがずっといい……おまえがなにを考えているか、わからなくて俺は、怖い。取り返しがつかなくなりそうで、いつかなにかが間に合わなくなるんじゃないかって」
「アキラ……俺」
「おまえは早すぎて……いつもおまえの速度に追いつけない……」
アキラはいっそう強く腕に力をこめて、ケイスケの肩口へ顔を埋めた。
「けど、それじゃダメなのか。速度が足りないと、俺の気持ちが足りないのか。俺はおまえの気持ちに負けてるのか。足りないから俺は……ダメなのか。おまえを受け止め切れなくて、だからおまえは俺の前からいなくなるのか」
たたみかけるように言うと、全力で走ったみたいに息が切れた。
「アキラ、泣いてる……?」
「泣いてない……」
泣いてはいなかったけれど、こめかみがじんじんと熱を持ってうずいていることに気づいた。胸苦しくて、吐きたいのか泣きたいのか、自分でもよくわからない。
すると、ケイスケがアキラの肩を強く押しやった。体を離され、正面から瞳が絡みそうになって、アキラは面伏せた。きっとひどい顔をしている。こんな顔を見せられない。
「だけど、声、震えてる」
なのに、ケイスケが下からのぞき込むように顔を寄せてくる。
「誰のせいだよ」
吐き出す息と一緒に言うと、ケイスケが何度か瞼を瞬かせる。
「……俺?」
「ほかに……誰がいるんだ」
「俺のせいで、アキラが震えてくれるの……?」
「バカ、嬉しそうに言うな」
本当に頭に来る。どんな気分でいたと思っているのだろう。
誰かこの胸を真ん中で切り開いて、この男に見せてやってくれないだろうか。
喉元まですき間なく、窒息しそうなほど詰まったものを。さっきからケイスケがなにか呟くごとに軋む骨を、震えて仕方のない、役に立たない内臓を。
「俺はまた、……おまえが人でも殺したんじゃないかと思って、取り返しがつかなくなりそうで……ケイスケ」
今までどうしても言えなかった告白に、胸が軋んだ。まるでグラスへ放り込んだ氷みたいに、きしきしと音を立てる。
「ごめん……アキラ」
ぬるま湯みたいな、ケイスケの甘い声が染みてくる。
「もう聞きたくない」
「でも、俺──」
「うるさい」
これ以上聞いたら、氷がすっかり溶けてしまってきっと涙になるから、聞きたくない。
アキラはケイスケの唇を、深く塞いだ。
自分の唇で。