背中にガラス戸が当たり、がたん、と堅い音を立てた。
「──ぅ、ん」
甘さを含む声がくぐもって漏れ、アキラは自分の声にいたたまれなくなって顔を背けようとする。が、身もだえする度に、角度を変えてついばむようなキスに捕まった。
すぐにまっすぐ立っていられなくなって、アキラはグズグズとその場にしゃがみこんだ。追いすがり、緩く巻きしめるようにケイスケが覆い被さってくる。
「アキラ……」
ため息にも似たケイスケの声がアキラのこめかみを伝い、耳朶をかすめて落ちてくる。途端、鳩尾で熱が弾けて、鈍い痛みにも似たそれはそのまままっすぐに下肢を貫いた。
「……っは」
熱の分だけ呼気の質量が膨れあがり、吐き出しそこなった熱は体中を舐めるように灼く。皮膚が、ちりちりした。シャツを押しのけ、大きな手のひらが下から胸の尖りを掠めると、足の裏から強い快感が駆け上がってゆく。
「……ぁ、ケ、イスケ……」

「アキラ……」
「……よせ、……ッ」
「駄目……?」
熱っぽい吐息とともに、ぽつりと耳元に囁かれる。
ケイスケの、欲情に濡れた声──自分だけをただひたすら求める声に、アキラは思わず体を震わせた。
「ねえ、アキラ……」
「……っあ」
胸元を強く吸われて、かみ殺し損ねた自分の声が響く。明らかな劣情を滲んだ声音に、まるで後頭部を殴られたような気分になる。
「な……が、っ」
「? なに」
「鍋……っ」
「鍋?」
「鍋、が吹く……止めないと」
切れ切れに言うと、ケイスケが小さく吹き出した。
「さっき止めたよ。おたまもおいてきた。ちなみに、今日はアキラの好きなネギのみそ汁。なんなら今晩はオムライスにしようか」
含み笑いのまま、ケイスケはアキラをのぞき込む。
「他には……? ねえ、俺にしてほしいこと、なんでも言ってよアキラ」
「そんなこと……、……っ!」
ケイスケの顔が近づいてきて、アキラは思わずぎゅっと目をつむる。
するときつく閉じた瞼へ、こめかみへ、頬のラインへ、うなじへ、軽く触れるだけのキスが降ってくる。
何度も。
繰り返し。
「アキラ……ね、聞いてる?」
うわごとみたいに、うっとりした声がする。
二の腕を掴む手はアキラへしがみつくみたいな強さ、なのに他の全てがどうしようもなく優しい。
それは、言葉よりもはるかに雄弁だった。
(本当は思うさま奪いつくしたい)
(けれども、誰よりも優しくしたい)
そうして焦れた潜熱が、手のひらで燻っている。
「アキラ……」
掠れた音が織り込まれたその声は、まるでケイスケの押し殺した心がそのまま写りこんだみたいに正直だ。
目眩がするほどの過熱が、ケイスケの体に凝っている。
それがわかるから、触れられると泣き出したい気分になる。もうやめてほしいと叫びたくなる。
(「気持ち、いいんだ」)
体は正直に快感を訴える。
けれども、ケイスケと同じ質量の熱を果たして自分は持っているだろうか。返すことができているだろうか。
快楽の波にさらわれそうになるたび、自分が酷い裏切りをしている気がする。
けれど、拒絶もできない。
(「……受け止めてやりたいと思うんだ。本当に」)
源泉に、そう言った。言葉にして説明するとああなるのだと、口に出してみて初めて知った。
全てのベクトルを傾けて、ひたすらに求めてくるケイスケ。自分などよりもずっと柔らかで穏やかに見えるけれど、その実、胸の真ん中に途方もない熱を抱えている。そのことを、誰よりも知っているはずの自分。
大切にしたい。一緒に歩いてゆきたい。それは心からの願いであるはずなのに、ケイスケの立つきざはしに、どうしても手が届かない──そんな感覚。
(「子供みたいに求めるから、叶えてやりたいと……思うんだよ」)
寝てみて、初めて始まった幼なじみとの関係。
だけど、自分は今もうまく飲み下せないでいる。男同士だから、とか、そんなものに縛られてるわけじゃない。ただ性急すぎて、ケイスケに追いついていくことができないでいる。
体が──ひょっとしたら心も。
ケイスケのことは好きだ。けれどケイスケの発する熱は熱すぎて、自分の熱がどこまでなのか見境がつかなくなる。
(「どうしたらいいのかが、よくわからない……」)
ただただ刺し貫くような熱と汗の匂いにひとり、溺れるばかり。
困惑と快感に挟まれて、背後から急き立てられるような焦燥だけが触れられるたびに膨れあがってゆく。
「アキラ……?」
微かに眉根をひそめて、ケイスケが名前を呼んだ。
「なんでもない……」
そう言って、アキラは気鬱を振り払うように自分からケイスケに口づけた。
頭を真っ白にして、好きだと囁くケイスケの声だけで頭をいっぱいにできたらよかった。ただ、求め合えたらよかった。そうしたら、余計なことは考えずにケイスケと皮膚を合わせることができたのに──中途半端な理性を吹き飛ばしてしまえないばかりに、お互いの間に横たわる全てがグレイのままだ。
触れられることも抱き合うことも、ケイスケだったらかまわないと思えるのに。
どうして。
「あ、……っ」
いきなり、下肢を掴まれた。突如ふいに降ってわいたきつい刺激に、アキラは顎をそらせる。すると、おとがいを下からすくい上げるようにして、喉元を手のひらが撫でてゆく。
火傷の跡がつくみたいに、皮膚へ鮮やかな残像を残して。
「や……、ケイス……っ、は……あ」
うまく息ができない。体ばかりが、転がるように先へ先へと行ってしまう。そんな気がする。上体を起こしておくことができなくなって、アキラは床へ頬をこすりつけるみたいに倒れこんだ。
目をつむったままひっきりなしに息をついていると、すぐ近くで笑む気配がした。
「よかった」ケイスケがほっとしたように呟いた。「ちゃんと感じてくれてるんだ。アキラ……ここ、きつくなってる」
「バッ……カ──ぅあ!」
すでに反り返ったものをジーンズから引きずり出され、下着ごと絞り上げるように握られた。
「もっと気持ちよくなっていいよ」
耳元でそう、囁かれた。擦られ、布地越しにじれったい熱がこもる。ケイスケの手の中にくるまれて、どんどん形がくっきりとし、立ち上がってゆくのが自分でもわかった。
「見せて、……いくらでもしてあげるから」
「あ、……っあ」
小さく柔らかな囁きに羞恥が突き上げて、もうしゃくりあげるような声しか出なかった。
ふいに横抱きにされて、耳の端を囓られる。手がいつの間にか下着を押しのけて、直に触れてきた。先走りをすくい上げ、先端に塗り込まれると声を上げずにはいられない。ひっきりなしに根本から擦られ、亀頭の裏をなぞられ、生々しい音が絡まってくる。眦に涙がにじんできた。
意識を半ば手放しそうになったころ──いきなり、羽交い締めにされた状態から改めて抱え込まれた。
「ケ、……イスケ! バカ……なにす──」
四つんばいにさせられた。
掠れた叫び声を上げたが、返事はかえってこなかった。
それもそのはずだ──自分でも触れたことのない場所へ、ケイスケが舌を滑り込ませてきた。とがらせた、けれども柔らかい弾力のある感触がねじ込まれて、狭い場所を押し広げていく。
「あ、あ、……あっ!」
窄まりにぐるりと舌を這わされて、悲鳴じみた声が勢いつけていくつも飛び出した。死ぬほど恥ずかしいのに、無意識のうちに腰を揺らめかせる自分に気がついて、アキラは愕然とする。自分の痴態と湿った音と生温い感触に、それだけで意識が飛んでしまいそうだ。
「もう、い……あッ」
口の端にのせた言葉は、喘ぎともつかない音になって消えていく。
「……いいの? それともいや?」
答えられないのを知っていて、ケイスケが聞く。
朦朧とした意識の向こうでやけに冴え冴えと響くそれを半ば無視して、アキラは頬を冷たい床に押しつけて喘鳴を繰り返した。
「気持ちよさそうだ……アキラ」
少し笑う気配の後に、舌よりももっと確かなものが突き挿れられる。
「あ、ぁ……!」
床にぬかずくような格好で、アキラは掠れた悲鳴を上げた。ケイスケはそれを聞くと、なおも指を蠢かせる。アキラは自分の髪の毛を力の限りくしゃりと掴んだ。
「も、……ケイスケ……っ!」
指は内壁を執拗に擦り上げてくる。
見られている──視線が体に突き当たるのがわかる。探るようにじっくりと、ときに急くように動かされ、頭の中が湿った音でいっぱいになった。ゆるゆるとほぐされていく感覚に、思うさま声をばらまきたくなるのを歯を食いしばって堪える。やがて差し込まれる指の本数が増やされ、熱が集まる部分ばかりを責め立てられて、アキラは体中の皮膚をあわだてた。
「ホントに……、……っ!」
やめてほしい、と懇願を口にするより早く、後ろからケイスケの腰が押しつけられた。
堅い感触に驚いて、アキラは目を見開いた。
「待……っ」
振り返ろうとしたけれど、背中からケイスケがぴったりとよりそって緩く抱きしめてくる。
「アキラ……ごめん、俺……やっぱり」
挿れてもいい? と消え入りそうに囁く声がした。
背中から、じんわりとケイスケの熱が伝播してくる。
激しく胸を波立たせ(大丈夫……)心の内で祈るように繰り返しながら(だいじょうぶ……平気だ)アキラは浅く頷いた。
腰を高めに抱え上げられて、両手で尻を押し開かれた。屈辱的な姿勢をなだめるように、アキラの背中へ優しいキスが落ちてくる。
「すきだよ、アキラ……」
「バ……カ、──ぁあっ……!!」
窄まりに、熱の固まりが押しつけられた。
「い、……痛……ッ、う、あ……っ!」
剥き出しの部分へ火箸を当てたような衝撃に、痛いのか熱いのかの区別もつかない。
感覚も脈動も、すべてがただ一点に集まってくる。
肩をわななかせ、床にヒジを押しつけて、アキラはきつく拳を握りしめた。
(駄目……だめだ、力を、抜かないと……)
そうは思っても、どこもかしこも痛みに張りつめていてどうしていいのかわからない。そうこうしているうち、下から押し上げられる感触に吐き気すらこみあげてくる。
全身から脂汗が吹き出した。
「……っく」
叫び声を上げそうになって、アキラは唇が切れそうなほどきつく噛みしめる。握りしめた拳はすでに血色を失い、体温がすっかりこそげていた。
「アキラ……」
重い激痛の中、ぽつりと声が聞こえた。
「ゴメン、──やっぱりやめとこう」
弾かれたようにして首をひねり、見上げると、ケイスケが困ったように笑っていた。
:::
──思い出すのは、雨の音だ。
いつの間にか降り始めた雨を眺めて、ケイスケは壁に背を預けていた。
青白い闇が横たわるひんやりとした室内、さらさらと響く雨音に混ざって微かな寝息が聞こえてくる。
「アキラ……」
ちいさくちいさく呼ばわって、布団に散った髪をなでるとアキラがわずかに身じろぎする。
(よかった)
顔色も徐々に戻ってきている。ほっとして、ケイスケは細く長い息を吐き出した。
(ごめん、アキラ)
体を折り曲げて、瞳を閉じ、ケイスケはアキラの髪へ唇を埋めた──まるで祈るみたいな仕草で。
何がいけないのか、わかっている。
怯えているからだ。
(俺が、怖いんだ……)
いつからだろう。体を繋げることがうまくいかなくなった。
怯えるのは、不安だからだ。
盗人が宝石を手に入れても落ち着かないように──手にしたと思った瞬間から、失う恐怖を抱え込んだ。
そんな自分の飢えと恐怖と焦りと欲望を、アキラの体はまるで鏡のように映し出す。触れれば心地良いし、熱を生む。けれども強く抱き込めば震え、繋がろうとすれば痛みにわななく。苦痛と困惑に歪むアキラの表情は、一回り大きな別の痛みになってケイスケを拒む。
──雨の、音がする。
雨の音を聞くと、思い出す。
そう、あそこはいつも天気が悪かった。
泣き出しそうな曇天──気づいたらどしゃぶりの雨で。
雨なのか、……涙なのか。判別はつかないまま、立ちすくんだ。
(アキラ……)
投げ出されたアキラの手のひらを、思わず握りしめる。
つなぎ止めていたい、こころとからだ。
早く、早く、欲しい──早く?
もっと、もっと、もっと、欲しい──もっと?
(ごめん……本当に)
どうして、寄り添うだけでは駄目なのだろう。
触れると怯えるアキラと、触れていないと不安な自分には、一体何が足りないのだろう。
「……ケイスケ」
ふいに呼ばれ、ケイスケは驚いて瞬いた。
アキラが、床から自分を見上げていた。
「アキラ……ごめん、起こしちゃった?」
「俺、寝てたのか」
少し喉の奥がざらついている。ちょっと待ってて、と一声かけて立ち上がり、コップに一杯水を汲んで差し出すと、アキラは何も言わずにそれを飲み干した。
上下する喉元は──見ないふりをした。
(早く、もっと……全部)
ずしりと重くなる体は、無視した。
「腹、空いてないか? みそ汁暖め返そうか」
「いい。……ごめん」
「なにが」
「ケイスケ」
わかっているだろう、と咎めるように、アキラが声をほんの少し荒げた。
「ごめん。……いいんだ、謝らなくて」
少し笑ってやると、アキラがかえって寂しい顔をする。
けれども、笑うことしか思いつかない。
「だって俺、こうしてアキラと同じ布団で寄り添ってるだけでも十分幸せだから……ホントに。だからあの、それに、アキラが気持ち良くなってくれると……すごく可愛くて、俺、嬉しくて……たくさん見ていたくて。だから今、俺、本当にすごく幸せなんだ」
つっかえながら矢継ぎ早に言い添えると、アキラが呆れた顔の後でため息をつき、そっぽをむいた。
「…………バカ」
「ホントだよ、アキラ」
好きだよ、ともう一度囁いて、ケイスケは再びアキラのこめかみにキスを落とした。