リル=インの両腕(掌編)

 寒さで、ふいに目が覚めた。
 日が傾くとこの辺りは急速に冷え込む。かといって、大きく火を焚くわけにもゆかない。誰に見咎められるかわからないからだ。暖炉に小さく火を入れてみたが、かろうじて明かりを採れる程度で、暖をしのぐにはほど遠い。高く鋭い樹木の下、枝葉が地面を覆うように茂る建物は、身を隠すのに絶好の場所だったが、昼間の僅かな日差しをため込むことも叶わず荒涼としていた。
 忌々しげにひとつ舌打ちして、ヴェンツェルは腕をかき合わせた。だが、縮こまってみたところで少しもマシになった気がしない。
 ふと石の壁へ手のひらを這わせてみたが、そこへ寄りかかっていたはずの男の温もりはとうに消えている。

 自分が眠りの谷間へ落ち込んだところを見計らって、出かけたものらしい。
 その精力には、さしもの自分も呆れはてる。だが憑かれたように暗い瞳で戦い続ける男を、そそのかしこそすれ、止めようとはさらさら思わない。
 エリダラーダとバラガーンの戦いはいよいよ凄惨を極め、同胞はもうほとんど残っていなかった。
 長老らを初め、一族の重鎮たちは早々に死んでいた。
 原因なら明白──圧倒的な実力差を誇っているというのに、人を殺すことを躊躇うせいだ。余裕から出た油断と思いきや、どうもそれだけではないのだと途中で気づいた。何がそうさせるのか、ヴェンツェルを初め、若い同胞たちにとっては理解しがたいことだった。諾々と狩られ、命を蹂躙されて、黙っていられようはずもない。しかも相手はただの人間なのだ。
 隠れ住むことを架した、頑なとすら思える戒律の意味も、口はばったい老人たちが死んだ今となっては永遠の謎だ。
 つらつらと思考の淵へと落ち込みながら、ヴェンツェルは寝返りを打った。底冷えするものの、まだ睡魔は全身を覆っていて半ば朦朧としている。
「寒いだろう……馬鹿が」
 隣の岩肌にもたれていた男──クラウスを思い起こして独りごちる。
 一族のものが次々死んでいくと、最初はてんでに戦っていたものたちが、次第にクラウスの周りへと集まり始めた。
 強かったからだ。眉一つ動かさず、ひとたび敵と相まみえれば、真っ先に死体の山を作って見せた。
 僅かに生き残った同胞はこぞって喜び、彼を旗印に立てた。若く頼もしい同胞に期待を寄せ、熱く理想を語った。
 だが、当のクラウスに歓喜はない。
 ──あの背中がいい。それから瞳。
 いつもそこには絶望的な孤独が張り合わされていて、気怠げに紡がれる言葉よりも、殺戮を繰り返す手のひらよりも、遙かに雄弁だった。
 ただひたすら、死んでしまえと、黙って叫び続けていた。
 その暗くて、執念にも似た気配に、わけもなく興奮した。
 殺戮という名の、交わり。
 振りまかれる血の臭いが、正体不明の昂ぶりを後押しした。そして、夢中になってひたすら殺しているうちに、気づけば二人きりになっていたのだった。
「黙って出て行くなら、俺が寝ている間にしろ」
 背中を向けたまま声を投げると背後から、じり、と砂礫を踏みしだく乾いた音が聞こえた。
 外気は湿った血液の香りと、きな臭さを孕んでいた。