アキラとリン

 そう、これはたとえ話なんかじゃ全然なくて、本当に、夢にまで見た五年ぶりの再会だった。
 なのに俺たちときたら、一日目は他愛ない昔話を子守歌に朝までぐっすりと眠って、二日目の眠る寸前にようやく手をつないで、三日目にやっとのことでベッドの上まで到達というスローペース。しかもベッドって言う言い方も我ながら見栄っ張りだ。だって、イスが一脚しかないって理由で腰掛けているだけだし。
(すぐにキスくらい、するもんだと思ってたよ──もちろん俺が)

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「──どうした? リン」
「え? なにが」
「笑ったりして」
 アキラの、形の良い眉がほんのわずか、寄せられる。
「ああ、うん。アキラがさ、変わってないなって思って。うれしいじゃない? そういうの」
「……そうか」
 そんなふうに一言、ぽつりと言葉を落としたきり、アキラは黙り込んだ。
 変わっていないな。今の一言だってそう。ふい、と言葉をとぎらせる癖──わりと好きだった。機嫌が悪いわけではないのだ。一見素っ気ないけれど、まるで煙草の煙を燻らせるみたいに、考え事をしてる。それを知ってる。
 再会してからずっとこんな感じだ。まるで自分で埋めたタイムカプセルの中身をひとつずつ取り出して、指折り数えているみたいな気分。
(ああもう、こんなだから……)
 だからここまで三日もかかるんだな、俺たち。
「おまえは──大きくなったな」
「は……?」
「……いや、背も伸びて。髪も」
 まじめに、少し困ったような顔をするから、思わず吹き出してしまった。
「なんだよ」
「だ、だってアキラ……あはは!」
 ぎこちなく寄り添うだけだった体を、今度は両腕で抱きしめてみた。リン、と少しとまどいを含んだ声で呼ばれる。
「ハイ、大きくなりました! けど、まさかアキラより大きくなってたなんて、俺も思わなかった」
「なんだか、すごくヘンなかんじだ……」
 あんまり途方にくれたような声だったから、また笑いそうになって、慌ててかみ殺した。
「急に背が伸びたなっていうのはわかってたんだけど。ホラ、片っぽ、ウソっこじゃない。足。長さが変わっちゃうと、ホント困るんだよね。歩きにくいし、そのたびに調整しなきゃなんなくて」
「ああ……」
 アキラがはっとした顔で見上げてくる。それから、ゴメン、と一言。
「なんで謝るの。俺、ひょっとしてヘンな顔した?」
「いや……」
「アキラはホントに相変わらずだなー」
「なにが」
「やさしいね」
「それは……違う」
 アキラが少し強い語調になって、小さく首をふった。
「優しいのは俺じゃない。俺は気が回らなくて……だからリンが平気そうにしていると、すぐに大事なことまで忘れる」
「だっからさ、平気そうなんじゃなくて、平気なんだって」
「平気なわけはないだろ」
「……ん、痛かったよ」
 アキラがわずかに顔を曇らせる。そういう顔をするのがわかっていたから、黙っていたのだけれど。
(でも、ダメなんだっけ。アキラは)
 きれい事でごまかされることを望まない。見て見ぬふりをしてくれないから、ときどきしんどくなる。だけどそれは、本気で気にかけた相手への仕草だと知ってる。そう──またひとつ、思い出した。
「ホントはかろうじて繋がってたんだけど、トシマじゃろくな医療施設もないじゃない。あの頃ちょうどCFCと日興連もドンパチやりはじめちゃってたし、物資どころじゃなくて。このままじゃ腐るぞって──ほら、中立のホテルにいた交換所のオッサンって、アキラ覚えてる?」
「ああ」
「あのオッサンがさ。人が怪我の熱でうなされてるってのに、わざわざ横にやって来てだよ? 辛気くさい陰気な声で、オイ、今に腐るぞ、とか言うわけ。サイアクだよ、全く」
「それで……切ったのか」
「うん。まあ繋がってても、もう役に立たないのはわかってたし」
「そうか」
 アキラが俺の肩へ、額を軽くあてるように寄せてきた。いたたまれない、といったふうだった。
 慰撫されることは、正直まだ少し辛い。けれども、アキラの仕草は微量な甘さを含んでいて、不快だとは思わなかった。不思議な感覚に促されて、自分もまた、アキラの首筋に顔を埋めた。
「いいんだ。たぶん、必要だったんだ。俺の執着ごと、全部切り離しておいてきたんだって思ってる。それに、あいつにつけられた痕なんて、体に残しておきたくないじゃない」
「リン……」
「死ぬかもって何度も思った。けど、そのたびにアキラのこと思い出してたよ。このままトシマで人知れず死んだら、アキラがわざわざ助けてくれた意味がなくなるって。俺の人生ってなんだったんだろう……なーんてさ、みじめで考えたくなかったしね。──ホントにあいたかった」
「……リン」
 うわごとみたいに名前を呼びながら、アキラが俺のことを抱きしめた。不器用で力任せの抱擁は痛くて、けれどもアキラの体温が染みいるようで心地よかった。
「俺、アキラとの別れ際に思ったんだよ。俺の人生ってここから始まったんだなあって。結構遠回りをしたけど……俺、アキラに会うために回り道、してたんだって。したら、やっぱ死ぬわけにいかないっしょ。ううん、死ぬわけないって思ったな。絶対にもう一度逢えるんだって。ねえ……アキラは俺に逢いたかった? 少しは思い出してくれた?」
「バカ」
 怒ったように言って、俺を見る。
「忘れた日なんて、なかった」
 そう言って──少し乱暴に口づけをした。
 気づけばもう夜も更けて、日付が翌日に変わっていた。

:::

「っ……ん」
 思わず声がうわずる。漏れる声が高くて、甘くて、これが自分の声だなんて信じられなかった。
「どうしよ……」
 唇をそっと離される。
「……リン?」
 吐息と一緒にこぼれ出た俺の取るに足らない言葉を、アキラは逃さずにすくい上げてくる。
 なにひとつ見逃さないと言いたげな瞳──俺がもう、これ以上傷つかないように。痛みを負わないように。その気遣いがとても煩わしくて、同時に甘い。
「やめないでよ、キス」
「え──」
「いっぱいして。五年分」
 そう言うと生真面目な顔で頷き返して、アキラが再び口づけてくる。やっぱり少しぎこちなくて、何度か角度を変えるだけのキス──なのに、驚くほど簡単に息が上がった。
「久しぶりで……どきどきして、どうしよう、俺、どうにかなりそう」
 息をつぐ合間、切れ切れにそう告げた。
 たかがキスくらいで──ちらっとそう思って、恥ずかしい気もしたけれど、でも本当のことだった。
「俺も……」
「え?」
 小さな声で、それでもしっかりとこちらを見据えて、アキラがつぶやいた。
「俺も……どきどきする」
「アキラ……」
 アキラの目縁がうっすらと赤く、瞳が潤んでいた。自分に欲情しているのだとわかったら、みぞおちの真ん中からお湯を浴びせたみたいに熱くなって震えた。
 たまらなくなって、今度は自分から口づけた。何度か触れては離れる仕草のあとに、アキラの整った薄い唇に舌を押し当てる。
「……っ、リン……」
「しようよ、アキラ」
 そう言ってアキラのシャツをたくし上げると、がらにもなく慌てた色味を帯びた声が上がった。
「おい、ちょっと……待てよリン」
「イヤ? あ、心配しなくても、俺が受けてたつほうでいいよ」
「バカっ、そうじゃなくて……」
「でも、さわりたい。さわらせて、お願い」
 耳元でわざとささやくように言うと、アキラがふるりと震え立つのがわかる。
「俺もう、思い出だけじゃ足りないよ──アキラ」
 なんとはなしに口を次いで出た自分の言葉が、脳まで届いたとたん──いきなり涙が出そうになった。
(なにこれ、……)
 たぶん、高ぶっているせいだ。別に悲しいわけじゃない。だってアキラが目の前にいるのに、悲しい理由が見つからない。
「アキラと分かれてから俺、何度も何度もあの夜のこと思い出して……触れた指も、俺を呼ぶ声も、汗のにおいも……痛みも、全部忘れないように、ホントに何度も」
 押し寄せる高ぶりを持てあまし、こらえようとしたら、今度は代わりに言葉があふれ出てくる。自分の中がいっぱいになって、なにか吐き出さないと破裂してしまいそうだった。
「覚えてるつもりだったのに、けど、触れてみたらそうじゃなくて、全然違っ──ン……っ!」
 びっくりした。いきなり顎を乱暴に捕まれて、口をふさがれた。
「アキ……」
 何も言わず、アキラが口づけを繰り返した。今度は容赦なく、息もつけないほど深い。奥まで、舌を差し入れられた。
「ん……ぅ、んっ、……ふ」
 すみずみまで味わいつくすような丹念な舌の動きに、うまくはき出せない息がくぐもって喉の奥に響く。飲み下せない唾液が顎の裏側まで伝ったころ、ようやくアキラが口を離した。
 肩で荒い息をつきながら見上げると、アキラがため息みたいな空気の固まりと一緒くたにして、バカ、と吐き出すように言った。
「さっきからおまえ……しゃべりすぎだ。慌てないで、人の話を聞けよ。俺はどこにもいかないし、イヤだなんて一言も言ってない。……ただ」
 何も言わずに視線で先を促すと、小さく息をついてから続けた。
「自分の服くらい自分で脱げるって……そう言いたかったんだ」
 そう言うと、アキラがいきおいよくシャツを脱ぎ捨てて、覆い被さってきた。
「あ……っ、ん」
 手が髪をやさしくすきながら、首筋から舌を滑らせてくる。
 鎖骨まで下りてくると、くぼみにとがらせた舌をあてて、くるりと舐められた。
「あ! は……っ、ああ……あ」
 くすぐったさがない交ぜになった感触に、ときおり甘噛みされるともう声が抑えられない。そうして鼻にかかった声を上げるたび、アキラの舌先が名残惜しそうに何度も行ったり来たりするのが分かった。
 体の隅にある熱をゆっくりと掘り起こされる感触に耐えきれなくなって、自分もまたアキラの肌に手を伸ばした。
「リン……!」
 触れるとひんやりとしているのに、うっすら汗ばんでいるのが少し嬉しい。
「リン……やめ……っ、いいから」
「よくない……やだ。俺もする」
「いいって……!」
「アキラさっき、イヤじゃないって言ったろ」
「おまえ……ぁ、く」
 押しのける手をいなして胸のとがりに唇を寄せる。声をあげまいと歯を食いしばってこらえるアキラの様子に、意地の悪いことが言いたくなってくる。
「アキラは胸、……すきなんだ? ここ、堅くなってる」
「……っ」
「どうすると一番感じる? ねえ……いっぱい舐めるのがいいの? それともちょっと痛い方がいい? こうして」
「ああッ……!」
 軽く歯を引っかけると、アキラの声が弾けた。
「や……、リン、よせ……っ」
「どうして? 気持ちよさそうなのに」
「……、だろ」
「え? なに。聞こえないよ」
 問いかけには答えず、攫うように顎を上向かせて俺の唇を塞いだ。
 やっぱり、アキラの体温は少し低かった。いや、自分がとても熱くなっているのかも。そうだとしたら、なんだか気恥ずかしい。
 けれども重なり合い、なめらかな速度で同じ温度になってゆくのは気持ちがよくて──そう前にも思ったことを、またひとつ、思い出した。
「──っ、あ」
 いつの間にかアキラの手のひらが滑り落ちていて、下肢の熱へ直に触れてきた。情けないくらいあっけなく息が乱れ、ほどけていく。荒い息をつきながら、自分もまたアキラの熱に触れた。溜息にもにた熱い吐息に、背筋が甘い感触を持って粟立った。
 お互いを急き立てて、追いつめ合って──そうやってまるで競い合うみたいにして、果てた。

:::

 気だるい熱が引ききらないまま、二人でベッドに倒れ込んだ。
「リン、大丈夫か」
「アキラってば、心配しすぎ」
 それじゃ答えになってない、と目がそう訴えてかけてくる。目は口ほどにものを言う、というけれどアキラは本当に……ああそうだ、同じことを昔思ったっけ。またもうひとつ、見つけた。
「大丈夫だよ。今日はここまでなんだし」
「?」
「だってさー一日目は隣で爆睡でしょ、二日目はやっとちょこっと手がさわったでしょ、三日目にやっとくっついて座ってさ、四日目にペッティング。お、結構今日は前進したじゃん。したら、明日あたりにえっち?」
「リン!」
 半身を起こして、アキラが鋭い声をあげた。照れたことがありありと分かる口調に思わず、あはは、と声を上げて笑ってしまう。暗くてよく見えないけれど、きっと赤みを帯びた顔をしているはずだ。
「ダメ? 俺が受けて立つんでも?」
「おまえは……すぐそういうことを」
「でね。その先はさ、新しいコトを探そうよ」
「え?」
「今の俺たちで、新しいコトを見つけにいこう。アキラ」
 ずっと、夢を見てきた。
 子供で、意気地がなくて、夢を見るばかりだった。
 兄貴に振り向いて欲しくて、カズイの側に寄り添いたくて──アキラの隣に立ちたかった。
 夢は、叶えなければ永遠にただの夢でしかない。夢を現実の高さに掴みあげたときから、本当の人生が始まる。そんな気がする。
「そうだな……」
 俺の手を取って、指と指を絡めて──アキラがビックリするほど優しい笑顔で笑った。
「待ってた。おかえり」
 初めて見る、大好きなやつの最高の笑顔。

 だからもう、俺は過去を数える必要なんかない。